ホークスを世界一に! 孫正義の21世紀革命2005 -4ページ目

第23話 雨あがる


第23話


雨あがる






 5月29日(日)。ホークスは中日との交流戦最終日、前日の「大勝」の勢いのままいっきに勝負を決めてしまいたいところだった。だが、試合は逆転ののち同点に追いつかれた。9回無死1、2塁のサヨナラのチャンスを主軸が、ものにすることができず延長に。10回に決勝打を打たれ敗れた。

 この試合、松中は7年連続の20号本塁打を56試合目で到達。44本打った昨シーズンを2試合上回るペースだ。みごとなホームランが見られたことで良しとするか。

 5月30日(月)。東京地方は終日雨。私は前日にエネルギーを使い果たしてしまったのか。あるいはブルーマンディ(憂鬱な月曜日)なのかはわからない。何をするにも気力が湧かない。

 前日、早寝をして睡眠はたっぷりのはずなのに、眠い。だが、その日の夕方、私は「熱い」人物に会うことができた。

 元ロッテ投手で、江戸川大学助教授、ソフトバンク取締役の小林至である。



 小林は『合併、売却、新規参入。たかが・・・されどプロ野球!』(宝島社)を著した論客であり、

「日米の野球ビジネスを知り抜いている」数少ない行動派でもある。

 孫が野球について勉強していくうちに「自分と同じ情熱と考えをもっている人物」と小林をソフトバンクに招聘した。

 小林は東大から1992年にロッテマリーンズに投手として入団。2年でユニフォームを脱いだのちは渡米し、コロンビア大学で経営学博士号(MBA)を取得。フロリダのTV局に勤めるなどしながら、大リーグやスポーツビジネスの最前線を体得してきた。

 小林は熱血漢だが、感情に流されず、論理的に物事を組み立てていく。

「本当の自由競争によって、大リーグに負けないプライドを取り戻すことができます。クラブ単位での真の世界一選手権をやって世界に広がっていく。そうすれば(サッカーがそうであるように)野球がもっと夢のあるスポーツになり、強いチームを作っていけます。ビジネスにもなる」

 孫は言う。「日本の超一流選手と大リーグの超一流選手が真剣勝負できる舞台を作りたい」

 小林は孫について語る。「孫社長のビジネスや野球に賭ける情熱には凄まじい気迫がある。強いオーラを感じます。いま、真の世界一決定戦をやろうと真剣に思って行動しているのは、孫さんとぼくだという自負がある」。



 夢は必ず実現する。

5月31日(火)。雨あがる。

(文中敬称略)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第22話 信念の人


第22話


信念の人






 5月26日(木)、交流戦の前半が終了した。ホークスは横浜と第3回戦を行った。その試合前、私は王監督に疑問点をぶつけた。物怖じしない性格に、素人の強み。私は名監督に直球で勝負を挑んだのだ。

 ロッテとのゲーム差は3だが(試合後は4)、ホークスは優勝できるのだろうか。

「8月、9月まで戦いはぎりぎりまでいくでしょうね。もちろん、一番でゴールしますよ」

 王監督は言った。

 プレーオフもありますし、そこで勝つチャンスもありますね。

「いや、一番でゴールします。もともとロッテは強かった。投手のローテーションもうまくいっている。でも、136試合の中で我々のやるべきことをやれば優勝できます」

 王監督は私の腕を軽く触って言った。「見ててください」。私は咽喉のつかえが取れた。

 この時期、5ゲーム差ぐらいは問題にならない。オールスター後、8月の直接対決が勝負になる。




 王監督の優しさに甘えて私はさらに聞いた。

――打順を入れ替えるというつもりは? バティスタではなくてカブレラという案は?

(ほんと素人は怖いね)

「いや、バティスタは3番です。他にいません」

 王監督は明言した。その声が届いたのか、この日、バティスタは2打席連続の本塁打を打った。3番か先発から外すか、どちらかなのだろう。バティスタのやわらかいスイングは「世界のホームラン王」が高く評価しているのだ。

 王監督が選手たちに厳しく叩き込んでいることがある。

「基本に忠実にやれ」

 エラーをしたり、的確な判断ができないとき、監督の厳しい檄が飛ぶ。自主トレ、キャンプから選手一人ひとりが「勝つために、どのチームよりも厳しい練習」を積んできた強い自信がある。

 ホークスの貯金は15。たまたま上にいるだけ。「自分たちのやるべきことをやればいい」監督すべての選手たちが確信している。この日はその言葉を聞けて私は嬉しかった。




「巨人・大鵬・玉子焼」といわれた昭和の大横綱大鵬が5月29日(王監督と誕生日が9日違い)日本相撲協会を定年退職し、相撲博物館の館長に就任する。大鵬親方は若手に厳しく言う。「信念、執念だ。土俵際であきらめるな」その裏づけになるのは日々の厳しい練習の積み重ねである。

(文中敬称略)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第21話 宝物


第21話


宝 物






「すべての問題は自分を鍛えてくれる宝物」。孫は新入社員たちを激励した。


 目には青葉 山時鳥 初鰹

 山口素堂


 5月、新緑の季節。初夏の木漏れ日。1年で最も気持ちがいい季節なのに、なんとなく元気が出ない。5月の憂鬱。

 希望に燃えて会社に入ったけれども、現実とのギャップに悩み始める。

「自分は大きな歯車のひとつにすぎないのではないか」。悩みは次第に大きくなっていく。

 孫もバークレー校を卒業して、日本に戻って会社を立ち上げた。福岡の雑居ビルの一角である。孫には何もなかった。あるのは大きな希望。「日本一の事業家になる」

 だが、何をしたらいいのか。会社には行くけれども、「どんな事業をやるか」を調査するために時間を費やすだけなのだ。家に戻ると生まれたばかりの幼い子が泣いている。焦る。

「日本一になる大きな志がある。このくらいの困難で負けてたまるか」孫は自分で自分を励ました。




 5月10日(火)の決算発表で孫は「(来期)黒字化できる」と明言したのだ。むろん、数字の裏づけがあってのことだが、あえて公表することで自分を奮い立たせる。虚偽の報告をしたり、「つじつまあわせ」をすることを孫は最も嫌う。自分にも許さないし、部下にも許さない。

「正真正銘の黒字化をする」。そのために、徹底的に苦しみ、悩み、その目標に向かって突き進んでいく。

 これまで孫は困難に直面したとき、坂本龍馬の生涯を描いた『竜馬がゆく』(司馬遼太郎著)を何度も読んだ。

 子どものころ、泣きむしと馬鹿にされていた龍馬が「日本を変えたい」という大きな志をもって、脱藩。薩長同盟、明治維新が成功する大きな原動力になった。

「他人の価値に左右されるのは、自分の信念や決意が足りないということ。10年先、20年先の方向性を見すえてまっすぐに突き進んでいく」。孫は有言実行の人だ。




 5月21日(土)、22日(日)。ホークスは対阪神に2連敗。ついにロッテとのゲーム差は3。苛立ちがつのる。投手陣はもっとふんばれないのか。打順の入れ替えはないのか。ほんとうに優勝できるのか。焦る。

「日本一」の大きな目標に向かって何をすべきか。明確な回答がある。「目の前の試合を全力で戦う」。王監督の信念だ。

  いまの困難は、私たちすべてにとって宝物なのだ。

                                 (文中敬称略)


 

第20話 王貞治誕生

 

第20話

 

王貞治誕生

 

 

 

 

 

「今日は白星をプレゼントしてほしい」

 王監督は試合前のミーティングのときに言った。5月20日(金)は王監督の65歳の誕生日。

 孫オーナーも「王監督の誕生日を勝利で祝いたい」とヤフードームに応援にかけつけた。

 鷹対虎。ヤフードームはイエロー対決となった。

 試合は松中選手の1、3回の2打席連続の2点本塁打で勝負がついた。今季最多の16得点で大勝した。

 だが、試合後の王監督はため息をつきながらベンチ裏に引き上げてきた。16対7と大差をつけての勝利だったが、投手陣がピリッとしなかった。腹立たしいのだろう。

「つねに自分たちの野球をやる。個々の選手たちの力が十分に発揮できているかどうか」

 王監督の野球に対する厳しさは、選手たちの一人ひとりが感じている。

「野球が好きだし、野球に限界はない。これまで嬉しいこと悔しいこともいっぱいあった。いまもそれを選手のみんなと分かち合えるのは幸せだ」

 

 

 王貞治が生まれた昭和15年(1940年)は、「草の根をかじってでも聖戦遂行の決意をかためよう」と贅沢禁止令が出た年でもある。節分の豆も撒いたあとは拾って慰問袋に入れた時代だった。

 東京・墨田区の中華料理店「五十番」に双子が生まれた。双子は広子、貞治と名づけられた。二卵性双生児で、姉の広子は悪性のハシカを患って生後わずか1年3ヶ月で短い生涯を閉じた。

「貞ちゃんや、広子がおまえの悪いところを全部持っていってくれたんだよ。死んだお姉ちゃんに感謝しなくちゃいけないよ」(王貞治著『回想』勁文社)

 病弱で手のかかった貞治は、きかんぼうの元気な男の子に育っていった。ある日、息子が左手で玩具を投げつけた。母は驚いた。当時は左利きが極端に嫌われていた。サウスポー王貞治の始まりだ。

 小学校に入ると、ガキ大将になり、兄鉄城の影響で野球に熱中し出した。一方では、国技館に通うほどの相撲好きで、横綱吉葉山から「大きくなったら相撲取りになりなさい」と言われたほど。

「私が相撲取りにならなかったのは、そのうち野球のほうが面白くなってしまったからである」(『回想』)

 

 

 私が王貞治の勇姿を始めて見たのは昭和32年(1957年)の春。甲子園で早稲田実業の王投手は34イニング無失点を記録して優勝した。2年後に、王は巨人軍に入団。「世界の王」の始まりである。

(文中敬称略)

第19話 同じ志


こんにちは。編集担当の岩野です。

この連載ブログは、ホークスファンのみなさんを中心にお読みいただいており、

最近はコメントやトラックバックをいただき、著者の井上さんともども感謝して

おります。

今回の第19話は孫オーナーの話が中心ですが、連載では毎回多彩な話題を

提供して参りますので、どうかご愛読のほどよろしくお願いいたします。





 


 

第19話 


同じ志






 5月17日(火)は私の畏友、橋本五郎の3回忌。「五郎ちゃん」と呼ばれて、多くの人に愛された男が2年前に亡くなってから、あっという間に月日が流れた。五郎ちゃんはソフトバンクの常務取締役を務めた優秀な編集者だった。孫がもっとも信頼をおいた「同志」の一人でもあった。

 会社とは何か。同じ志をもって突き進んでいく仲間たちによって構成されている。ときに意見の衝突、激しいぶつかり合いもある。

 橋本五郎ほど、事業の面で孫に真っ向からぶつかっていった人物もいなかったのではないか。

 当時、出版部長だった橋本は孫と激しくやりあった。立ち上げたばかりの雑誌を廃刊にするかどうか。橋本は食いさがった。「みんな必死に努力している。人員削減は許せない」「それはわかっている。努力はきっと報われる」「やってみせます!」

 孫と橋本は周囲が震えあがるほど激しく意見を戦わせた。温厚な孫と橋本だから、なおさらだった。




 孫と橋本の激しいやりとりを一人の新入社員が聞いていた。Kは入社して3か月、まだ編集の見習いで、読者アンケートなどの整理をしていた。雑誌に寄せられる読者からの熱いメッセージを、若い感性で感じ取っていたのだった。

 その雑誌が廃刊になってしまう。悔しかった。毎号、楽しみにしてくれている読者に申し訳ない。自分も大好きな雑誌で、コンピュータや来るべき情報社会のことをわかりやすく読ませてくれる。

 Kは思い悩んだすえに孫にメールを出した。自分の熱い気持ちを伝えたかったのだ。返事は期待していなかった。自分の気持ちを整理するために書いたのだから。だが、孫から長文のメールの返事が届いたのだ。

「責任はすべて私にあります。申し訳ありません。とても残念ですが、経営者として、これ以上の赤字は許されないと判断したのです。これからも、よろしくお願いします」

その後、Kは編集者として成長し、多くのベストセラーも生み出してきた。

「孫社長の言葉が支えでした」

 10年を経て、Kに新たな転機が訪れた。「自分の可能性を試してみたくなったのです。とても苦しい選択でした」

 Kは転職することにした。孫にお礼のメールを出した。返事がきた。

「長い間ありがとうございました。今後もいい仕事を期待しています」

 Kは孫に感謝し、自らに恥じない仕事をすることを心に誓った。

                 (文中敬称略)

第18話 艱難辛苦

 

第18話

 

艱難辛苦

 

 

 

 

 

指揮官は怒りをこらえていた。5月14日(土)の対中日戦。7回裏2死。中日の福留の一打。審判の下した“誤審”は受け入れがたいことだった。

 打球は右翼後方のフェンス最上部に当たり大きく跳ね返って、「フェア」3塁打。

 だが、その直後に信じられないことが起こったのだ。判定後、4審判による協議が行われ、判定は「ホームラン」に覆ったのである。モニターで何度も映し出された映像では福留の打球はフェンスを越えてはいなかった。王監督は審判団に必死に抗議をした。

「当該審判が一度はフェアと判定を下しながら、当該でない審判が話し合って覆るのはおかしい」

 判定による試合中断を機に流れは変わった。ホークスはサヨナラ負け。

「我々は命がけでいい試合をやっているんだ。審判がいいジャッジをしないのではしょうがない。あとは何を言ってもしょうがない」

 王監督は吐き捨てるように言った。

 

 

 

 リーダーの苦悩や孤独をもっともよく理解できるのは孫だろう。

 孫はメールや電話で、あるいは直接、王監督を励ましてきた。反対に「勇気や元気をもらうことも多い」

 5月10日(火)、ソフトバンクは決算発表をした。会見では、4期連続の赤字ではあるが、「インフラ事業の先行投資のヤマ場は完全に抜けた」と孫は語った。

 2005年3月期の連結決算の純損失は598億円で4年連続の赤字だが、前期の1070億円からは大幅に改善したのだ。

 06年3月期は黒字転換を見込んでいる。「当面5~6年は黒字を継続、拡大する」と孫は断言した。

 さらに孫は3つの世界一をめざす。ネットとテレビ、電話はすべて一つのネットワークに統合される。「トリプルプレーだ」と孫は言う。「ブロードバンドのインフラ、ヤフーのポータル、コンテンツの3つの事業で世界一をめざす」

「野球もナンバーワンといきたいところ」

だが、孫の世界一「ネット財閥」構想をまだ充分に理解できない者もいた。

「結果で見せるしかない」――これは孫の持論だし、勝負の世界に生きる王監督も同じ考えを持つ。

 

 

 

 艱難辛苦。交流戦9連戦。5月15日(日)のホークスは対中日戦。苦しみながら接戦をものにした。この勝利の重みを王監督は誰よりも感じていた。

孫もまた、その重みを誰よりもよく理解できた。指揮官の茨の戦いは続く。

(文中敬称略)


第17話 気のせいや!


第17話


気のせいや!






 5月9日(月)対ヤクルト第3戦。私は歯痛をこらえながら応援。再三のチャンスをものにできず、延長11回1死から3連打で満塁。城石がセンター前に。サヨナラ負け。夜風が強くなり、歯の痛みも激痛に変わった。

 5月10日(火)早朝、ようやく歯科に駆け込んだ。神経を取られて、痛みはウソのように消えた。

 続くヤフードームでの対広島戦。杉内は9奪三振、完投したが、援護がなかった。広島ラロッカの2打席連続本塁打であげた2点を黒田が守った。杉内は今季初黒星。ホークス2連敗。神経を取った歯の鈍痛が起きた。

 5月11日(水)。「黒い霧事件」から35年ぶりに復権した元西鉄ライオンズの池永正明の始球で始まった。右肩痛で出遅れていた斉藤が今季、初のヤフードームでの登板。8三振を奪い、完投。大村のタイムリー。城島の3塁打。ズレータの豪快なホームラン。エース斉藤の復活。だが、ロッテとのゲーム差は3・5。

「今の時期、2位でよか、よか」と野球解説者。




 歯痛に苦しんでいたとき、痛みを和らげてくれた「鎮痛剤」があった。

B&Bの島田洋七が書いた『佐賀のがばいばあちゃん』(徳間文庫)だ。歯の痛みを忘れることができた。

 昭和33年、広島から佐賀の田舎に預けられることになった8歳の昭弘少年(洋七の本名)。そこには、がばい(すごい)ばあちゃんとの貧乏生活が待っていた。

 学校から帰ってきた昭広「ばあちゃん、腹減った」。答えは「気のせいや!」。腹が減るからと早寝した少年は夜中に目が覚めた。「やっぱり、腹減った」。ばあちゃんは答える。「夢や!」

 がばいばあちゃんの言葉。「貧乏には二通りある。暗い貧乏と明るい貧乏。うちは明るい貧乏だからよか。それも、最近貧乏になったと違うから、心配せんでもよか。自信をもちなさい。うちは、先祖代々貧乏だから」

 この作品は映画化され、来春公開予定。



 

 孫も少年時代、大好きな佐賀のばあちゃんの背中を見て育った。「人様のおかげじゃけん、感謝せんといけんよ」孫は言う。

「いまになってようやくその言葉の意味がわかるようになってきました」

 ちなみに島田洋七は城南中学で孫の先輩にあたる。島田は県下強豪の野球部のキャプテン。夢はプロ野球選手だった。

 佐賀のがばいばあちゃんから勇気をもらった私は、今日もホークスを応援するけんな!

(文中敬称略)


第16話 守護神


こんにちは。編集の岩野です。

みなさん、よい連休をお過ごしだったことと思います。

いよいよ注目の交流戦が始まり、私は連日ひさしぶりに

テレビ中継にかじりついてしまいました。


井上さんのブログもますます好調、ご声援ください。




 

第16話


守護神






 5月6日(金)、プロ野球史上初のセ・パ交流戦が開幕した。1950年の2リーグ分立化から56年目で実現した。ホークスとスワローズ戦だけが降雨のために中止になった。学生時代、早慶戦で咽喉を嗄らして応援した私にとっては、30年ぶりの神宮球場での野球観戦になるはずだった。中止に落胆した。

 だが、この男は雨を歓迎していた。城島選手だ。

「この中止はでかい」

 ここ2試合5打数無安打で、3割7厘あった打率も2割9分5厘まで下がった。城島は恵みの雨と捉えた。

 明けて7日、ヤクルトとの初戦。城島は4回、左中間に先制ソロホーマーを放った。リードも冴え、狭い神宮球場でホームランを許さなかった。

「今年の目標は日本シリーズで胴上げ投手になること」という守護神、三瀬が12セーブで締めくくった。「今日は妻の誕生日、いいプレゼントになった」

 歴史的な初戦を白星で飾ったホークスは4連勝。




 王監督は著書『さらば巨人軍 豪快野球で王道を往く』(実業之日本社刊)で書いている。

<現役の二二年間、何を拠り所にやってきたかと聞かれれば、僕はためらわずにこう答える。

「俺はただ打ちたかっただけさ」

 こういう僕をささえてくれたのは、

「俺は逆境に強いんだ」という意識である>

 この意識を感じたのは、不振のときの荒川コーチとの王道場で一本足に転換したとき、異常な精神的な重圧と戦いながらベーブ・ルースの記録を破ったとき、さらには世界新記録のホームランを記録したときである。

<これが僕に「運」というものの不思議さを教えてくれた。しかし、「運」というものは誰にでもついて回るものだ>

 運は平等だ。誰にでも公平に分配されている。だが、待っていてはこない。運を自分のモノにするのは努力が必要だ。血のにじむ努力を重ねてきた男の言葉は重い。

<「運」とか「ツキ」というものは必死になって自分で呼び込むものなのだ>




 交流戦初戦、王監督は勝利を呼び込んだ。DH制のないセで指揮した経験も豊富な王采配に迷いはなかった。打席に立った新垣、6年ぶりに左翼を守った松中。選手たちも順応した。

 5月8日(日)もヤクルト戦に12対1と快勝。今季3度目の5連勝。和田は思い出の地、神宮球場で完投勝利を飾った。

「相手がどうあれ、プロとしてやるべきことをやる」(王監督)

 世界の頂点に立った男は自らの運を切り拓いてきたのだ。

                 (文中敬称略)


 


 

第15話 博多どんたく、元気バイ!


第15話


博多どんたく、元気バイ!!







「ぼんちかわいい ねんねしな……」

歌声としゃもじをたたく音が空まで響いた。例年、雨の多い「博多どんたく」だが、今年の福岡は雲ひとつない皐月晴れ。3日、4日と市民だけでなく全国各地から200万人を超す人出が町中にあふれた。

 孫も少年時代、わくわくして「どんたく」の大パレードを見た。

 800年の伝統を誇る「博多松ばやし」を先頭に、歌や踊りのパレードが繰り広げられた。「どんたく」はオランダ語で日曜・休日を意味する「ゾンターク」に由来する。

 いまなお余震がつづく福岡沖地震の復興を表現する「元気バイ!!ふくおか」どんたく隊も参加した。祭りは夕方6時半からの「総おどり」でクライマックスに達した。




「博多どんたく」が行われた5月4日の夜。

 NHKテレビの『待ったなしプロ野球改革』に、孫は他球団のオーナーとともに出演した。

 孫は静かな口調ではあったが、改革への熱い想いを語った。ドラフト制度、大リーグへの選手の流出について、どこまでも「積極的な考え方」を貫いた。

 自由競争。大スターが生まれるという仕組みを作ることが大事だと孫は考える。

 一方で、プロ野球選手の給料が高騰して経営を圧迫しているという意見もある。

「物事の値段はつねに需要と供給であって、人為的に押さえつけるのはなかなか難しいと思うんですね。球団そのものを魅力的なものにしていけば、周辺のビジネスも含めてトータルでまだまだ経営努力できるものがあると思います」

 孫は拡大均衡なのだ。孫の考えに祭り好きの「のぼせもん」も諸手を上げて賛成するのではないだろうか。




 5月5日。ホークスは大阪ドームでのオリックス9回戦に勝って、このカードを3連勝した。ヤフードームで、ロッテにまさかの3連敗を喫したあとだけに、この勝利は意義あるものだ。

 王監督は監督として通算勝利数が1067となった。恩師・川上哲治元巨人軍監督を上まわって単独歴代9位。王監督は通算成績1067勝909敗62分け。4度のリーグ優勝。2度の日本一。孫は大阪まで祝福にかけつけた。

 6日からはセ・パの交流戦が行われる。プロ野球初の試みだ。6球団と6試合ずつ36試合が行われる。孫が言う「ガチンコ」真剣勝負を見たい。どんな感動のドラマが展開するか。期待でわくわくしている。

                                 (文中敬称略)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第14話 全身全霊を傾ける


第14話



全身全霊を傾ける





 4月28日、マイクロソフト社が発表した第3四半期(1~3月期)の決算は、売上高が前年の5%増の96億2000万ドル、純利益は25億6000万ドル。前年同期の13億2000万ドルから利益がほぼ倍増した。

 今後も大幅売上げ増が見込まれている。

 マイクロソフト社会長のビル・ゲイツと孫は、お互いに「ビル」「マサ」と呼び合う親しい仲だ。

 孫はゲイツを「頭の回転がおそろしく速い」男と形容する。私も20年近く前に、マイクロソフト社でゲイツと長時間話したことがある。インタビュー中も小刻みに体を揺らしながら、コンピュータを同時に2、3台操作し、質問にも的確に答える。なおかつ私が数字を間違って書き留めたのを指摘したのだった。じつに細かい数字をそらんじていたのは、ハーバード大学時代に「満点」を取った頭脳なら当然だろうか。

 さらに孫は言う。「ビルはチャレンジ精神がものすごくあるんです」

 10年前にインターネットで、マイクロソフトは他社に比べて遅れをとっていたが、いまや業界をリードする。

 ゲイツの特質についても、孫の分析は明解である。

「40を過ぎてから(ゲイツは今年50歳)協調性が出てきましたね。とてもフレキシブルになり、大人になってきた。しなやかさが出てきたと感じています。インターネットに総攻撃をかけて結果を出してきた。その点がとても重要ですね」

 抜群の頭脳の男が、難局に全身全霊を傾けてきたのだ。




 孫のゲイツに対する評価はそのまま、孫自身にも当てはまるのではないか。孫は17、8歳の多感な若者のとき、アメリカで偶然にICの拡大写真に接して「震えるような感動を覚え」て以来、コンピュータのソフトに特化してきた。

 コンピュータのハードウエアを組み立てているのが、人間で言えば頭蓋骨。その中にある半導体は脳細胞だ。「脳細胞があっても人間は知的生産加工ができないわけで、必要なのは脳細胞の中にある知恵と知識。それがデータであり、ソフトです」

 このもっとも付加価値の高い部分に孫は全身全霊を傾け、幾多の難局を乗り越えて、さらに大きくビジネスを展開してきたのだ。




 4月30日、ヤフードームでホークスはロッテと対戦した。城島が7号ソロを打ったが、前半の拙攻が響いて連敗。ロッテは20年ぶりの9連勝。

(文中敬称略)