ホークスを世界一に! 孫正義の21世紀革命2005 -5ページ目

第13話 人生の羅針盤


第13話


人生の羅針盤






NHKテレビ『経済羅針盤』(4月24日)に孫正義が登場した。日曜の朝。平明な孫の言葉に真実が込められていた。咳唾(がいだ)珠(たま)をなす。一言ひとことに珠玉の響きがあった。

インターネットとテレビの融合とは。

「インターネットでもテレビが見られるようになるし、テレビもインターネットにつながる。区別がだんだんなくなる。インターネットでもフル画面の動画で、何千チャンネルでも見られるという時代がもうじきやってきます」

テレビにもコンピュータが入っている。これがネットワークにつながって、さらにテレビからでもインターネットのコンテンツにつながる。

「どちらがテレビでどちらがインターネットか、その境がなくなっていくということ」

孫の説明は体のすみずみにまで浸透していく。どちらが支配する、勝ち負けの世界ではないのだ。滑らかな語り口だが、饒舌ではない。情熱的だが、感情的ではない。一言ひとことが心地よく響く。




私が孫に初めて会ったのは、20年近く前だが、そのときから今日まで孫の方向性は一貫していて、微動だにしていない。

「やがて一人ひとりがPCを持つ時代がやってきます。そのときはネットワークでつながります」

当時、孫のこの言葉にどれほどの人が真剣に耳を傾けただろうか。

「2、3年先を見るほうが難しいと思う。2、30年先を見るほうが、ほとんどはずれない」

2、30年先のイメージを描いて逆算して、10年後、5年後、2年後を考える。

「ぼくの場合は逆算方式」

孫の実弟・孫泰蔵(ガンホー・オンライン・エンターテイメント会長)が東大合格めざして猛勉強をしていたころ、兄から受験勉強の仕方をゼロから教わった。

<問題はあくまでも結果なのである。ということは、最終的に全体としてどれだけやるかという計画を立てるべきなのだ>

最終のゴールを決めて、それを逆算していく。そのためにいま、何をやるべきなのかを兄は弟に徹底して教え込んだ。結果、弟は最難関の東大経済学部に合格した。




孫にはすでに確かな未来が見えている。

「蛇口をひねれば水が出るように、ブロードバンドはわれわれの生活に入ってきます」

誰でもいつでもどこでも、平等に利用できるブロードバンド時代が、すぐそこにやってきている。

孫は人生の羅針盤をも示してくれた。

(文中敬称略)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第12話 千両役者

 

第12話

 

 

千両役者

 

グラウンドに立つ孫オーナー

 

 

 

 いま話題の、宮藤官九郎監督の映画『真夜中の弥次さん喜多さん』に出演している中村七之助が、インタビューの中で17代中村勘三郎を襲名した父の語った言葉を紹介していた。

「型を知っていて壊せば型破りだけど、型を知らずに壊したら、型なしだ」

 いかにも勘三郎らしい台詞だ。

 伝統をふまえてつねに新しい芸を研鑽してきた勘三郎は、現代の千両役者といっていい。

 4月20日、松中が放った逆転満塁ホームランは「千両役者」の貫禄を見せてくれた。

 3回2死満塁。松中の一振りが2点のビハインドをひっくり返したのだ。

「あの場面で、われながら絵に描いたような活躍ができたと思う。内容ともに完璧です」

 17日に到達した通算200号から新たなスタートとなる201号を放ち、チームを今季11度目の逆転勝ちに導いたのだ。

「まっすぐだけを待ってました」

プロ通算6本目のグランドスラムだ。

 

 

 

 ライブドアのホリエモンこと堀江貴文、楽天の三木谷浩史と孫正義。役者は揃った。

 ライブドアの年商約300億円、楽天は約500億円。ソフトバンクは1兆円。ある経済評論家が形容した。「ソフトバンクとライブドアでは、象と蟻ほどの開きがある」。

 孫は言う。

「ライブドアや楽天はミニチュア・ソフトバンク」

 堀江はニッポン放送株に800億円もの大金をつぎ込んで世間を驚かせた。だが、孫は堀江と同じ30代の前半で大型M&Aを行っていた。その額は実に3200億円。桁が違う。役者が違うのだ。

「堀江さんのチャレンジ精神は評価します」と孫は微笑して言う。

 

 

 

  では、孫は堀江や三木谷とどこが違うのか。

「NTT栄えて国滅ぶ。創業以来初めて昨年より売上げがちょっと減った、1兆円しか利益が出なかったと泣き言を言うが、こっちは年間1000億円もの赤字を出して、命がけでやってるんだ。ひとつでも反論ができるなら言うてみろ。NTTよ、出てこい」

 孫は巨大な既得権者に戦いを挑んでいるのだ。

「たんにネットワークのパイプだけを提供するのではなくて、そのネットワークのパイプに加えて、コンテンツという意味で広い意味でのソフト屋、トータルに提供していく会社というのは世界中にないんですよね。その分野で世界一の、デジタル時代、しかもIP時代の世界一の情報サービスカンパニーに生まれかわっていきたい。進化していきたい」

 穏やかな語り口調だが、高い志とビジョンを語る孫の目には力がある。目千両。千両役者。                 

                                 (文中敬称略)

 

文字の大きさと色を統一しました

ブログに慣れないため、

バラバラだった文字の大きさと色を、

ようやく統一しました。

 

バックナンバーも読みやすくなったので、

ぜひ読み返してみてください!

 

 

第11話 クレージーな思い

第11話

 

クレージーな思い

 

 

 

 きょう(4月20日)は二十四節気のひとつ、穀雨(こくう)。穀物を潤す春雨のこと。雨の恵みによって穀物が日々成長していく。

 19日のオリックス戦は、ホークス打線が爆発。今季最多の14安打、12得点で完勝した。

 先発の星野は危なげないピッチングで、オリックス打線にホームを踏ませない好投をみせた。星野は3年ぶりの完封で4勝目をあげた。

 投打ともにかみあってホークスはオリックスを圧勝。もうこれでホークスの勝ちパターンは決まったのか。

「いや、シーズンの戦い方がはっきりと出てくるのには、あと1ヵ月はかかる。5月の20日ぐらいになればはっきりと見えてくる」

 王監督は、あくまでも自分たちの野球をやることが大切だと言う。今年は交流戦もある。

「相手がどうあれ、自分たちのことをきちんとどうやるか」

 指揮官の眼は冷静かつ沈着である。

 

 

  日々の恵みによって、人もまた成長する。

 創業間もないころ、孫は実弟・孫泰蔵(ガンホー・オンライン・エンターテイメント会長)を例にとって朝礼で語った。

「弟が小さいころ、ジャンプ競技をやらされたことがある。1回目にクリアした高さよりも、さらに20センチ、バーを高くした。先生が『きみなら跳べる』と激励したのです。弟はついにそのバーを跳ぶことができた。何ごとも諦めてはいけない」

 ちなみに孫は泰蔵の名付け親でもあり、アメリカ留学からのお土産にはポケットコンピュータを弟に与えた。まだ4、5歳の幼い弟に「コンピュータの感触を指先に覚えさせるため」だった。

 孫の中学の同級生・三木猛義は言っていた。「泰蔵くんは凄い!」

 

 

 孫は営業会議で、ときに業界の常識に捕らわれて平凡な発想しかできない社員たちを叱咤激励する。「新しい発想でやってみろ」

 たとえばスポンサー獲得数。1000社から300万円ずつ頂ければ30億円。「シンプルに考えようや。(スポンサーが)何を求めていて何を提供すればいいか。徹底的に調査して実行に移す」

 営業部員からは苦笑すらもれた。彼らの考えていた数字は一桁少なかったからだ。孫は日々新しいことに挑戦する。進化していく。

「クレージーなヤツがクレージーな思いで突入すれば、何か新しいことが生まれる」

 

<新しい自分が見たいのだ――仕事したいのだ>(陶芸家・河井寛次郎)

                                                     (文中敬称略)

 

第10話 シュールリアリズム

第10話

  

 

 シュールリアリズム

 

 

 

 

  

 4月18日は発明の日。明治18(1885)年4月18日、現在の特許法のもとになる「専売特許条令」が公布された。発明といえばエジソンの名前が浮かぶが、日本にも優れた発明家がいる。自動織機の豊田佐吉、養殖真珠の御木本幸吉、タカジアスターゼ、アドレナリンの高峰譲吉など。歴史を変え、歴史を創ってきた。

孫もまた偉大な発明家である。バークレー校時代には「1日ひとつの発明」を自らに課していた。天才発明王エジソンですらできなかったことが、孫にはなぜ可能だったか。

「クリエイティブな発想を徹底分析してみると、まったくの創造というのはほとんどありません。多くは異なる要素の組み合わせなんです」

孫は英語で書いた<発明ノート>(別名アイディア・バンク)を作っていたが、そこに約200の発明が記入されていた。

「これらの発明は、大学のコンピュータを使って製品化が可能かどうか、分析をすませて合格したものにかぎっています」

 あくまでも製品化、事業化するための発明だ。

 

 

 

ランボーと並び称される19世紀フランスの詩人ロートレアモンの『マルドロールの歌』の一句。

<解剖台の上でミシンとこうもり傘が出会ったように美しい>

解剖台、ミシン、こうもり傘とか一見関係のないものを組み合わせることで詩情が生まれ、そこからシュールリアリズムがはじまった。

孫が発明した音声電訳機も、異なる要素の組み合わせによって生まれた。辞書、スピーチシンセサイザー、電卓の3つの組み合わせである。孫の発想はいつも大胆である。そしてつねに「他人の考えないことを考えつづける」ことである。ときにそれは逆転の発想でもある。

中学3年生のとき、池を一周するマラソン大会があった。池の輪郭はデコボコが激しい。最短距離を行くにはどうすればいいか。誰しも池の中心に近い内側のコースを走るのが速いと考える。

だが、孫は違う。「池の輪郭の突出部から突出部への直線コース、池の中心からいちばん遠い外側のコースを走ったほうが速いのです」

弧と弦の関係では弦のほうが短いからだ。

 

 

 

「びっくりする発想が連射砲のように飛び出してきた」――ある営業会議の席上、幹部のひとりは驚いて椅子から転げ落ちた。しかもそれが実現可能だったから2度驚いた。  

「考え抜いて実行すればできないことはほとんどない」孫は断言する。

 パ・リーグ首位攻防。17日、ホークスはロッテに1日で首位を奪われた。

                (文中敬称略)

  

第9話 私は忘れない

第9話

 

 

私は忘れない

 

 

 

 

 

 

 孫にとって忘れないことがある。まだ19歳で、カリフォルニア大学バークレーの学生だったころ。発明した自動翻訳機をもってシャープの天理研究所所長の佐々木正を訪ねた。「佐々木先生は、これはすばらしいと認めてくれました。特許料として1億円を出してくれた」むろん、発明の対価として大金を出したくれたことは嬉しいことだった。だが、それ以上に孫にとって嬉しかったのは、佐々木が「この若者に賭けてみようと固く信じてくれた」ことである。そのとき佐々木は「この若者を育てよう」と心の底から思ったのだ。「家族の絆、上司の絆、いろんな絆がありますが、命を捧げても惜しくないという強固な絆があります。損得を超えて、相手を尊敬し、理解しようという絆です。万が一のときは命を落としても惜しくないと思える絆です」そういう同じ志を持つことこそが、人生にとってもっとも大切なことだと孫は考えるのである。佐々木との深い絆を、孫は忘れたことはない。

 

 

 

 バークレーを最優秀で卒業して日本に帰国した孫は、会社を設立する。その会社は新しい事業を興すにあたって「何の事業をするかを半年以上かけて」徹底的に調査した。起業する候補の中にはバイオテクノロジー、光通信、ハードウエアの販売などの業種もあった。「新しい分野のほうが参入しやすい」さらに孫は資料収集、業界の情報、経営コンサルタントなどの意見を徹底的に集めて会社を設立する。1981年9月、「日本ソフトバンク」が福岡でスタートした。このときすでに「デジタル情報革命を起こすんだ」という大きな夢を描いていた。当時実際に手がけたのは、ソフトの流通業と機関誌『ザ・ソフトバンク』の出版であった。そのとき抱いた「日本一になる」という志は、今日まで揺らいだことはない。6年間の留学生活で、孫はすでにアメリカでの人脈も築き、ユニソンワールドというゲームを扱う会社も興し、売り上げも急増していた。  だが、なぜ孫は日本で起業したのか。「母と、日本に戻ってくると約束したからです」

 

 

 

 現在、チーム一丸となって厳しいペナントレースを戦っているホークスナインにとって、忘れられない出来事がある。昨年のプレーオフ。ペナントレースで2位西武に4・5ゲーム差をつけながら、10月11日のプレーオフ最終戦で敗退。パ・リーグ優勝を逃し、日本一を達成できなかった。この悔しさを誰も忘れてはいない。

                (文中敬称略) 

 

第8話 人生いろいろ

 

こんにちは。編集の岩野です。

パ・リーグの首位争いは、早くも熾烈になってきました。

このブログも、ぜひ優勝戦線にからんでいきたいと願っています。

皆さんのコメント、トラックバックなど、応援よろしくお願いします!

 

 

第8話

 

 

人生いろいろ

 

  

 

 

 花散らしの冷たい雨の降る12日、東京・港区増上寺で作詞家・作曲家の中山大三郎の葬儀・告別式が行われた。『人生いろいろ』『無錫旅情』『珍島物語』など数多くのヒット曲を手がけた作曲家は64歳で亡くなった。

 6年前から闘病生活を送っていたが、大好きな桜の季節に逝った。「桜はどうだい?」と夫人に筆談で何度も聞いていた。

 

 ねがわくば 花の下にて 春死なん そのきさらぎの もち月のころ

   西行(円位上人)

 

 九州宮崎に生まれた陽気で繊細な詩人は誰からも「大ちゃん先生」と愛され、わけへだてなく人を愛した。中山大三郎の名を高めたのは、87年に島倉千代子のために作詞した『人生いろいろ』(作曲・浜口庫之介)だ。天才少女歌手としてデビュー、プロ野球選手との結婚・離婚。莫大な借財をかかえて歌手再デビュー。実姉の自殺など波乱に満ちた島倉の人生を描いた。笑いあり、涙あり。それでも生きることのすばらしさを詩人は教えてくれた。人生いろいろ。

 

 

 

 13日、楽天の一場靖弘はプロデビューをした。入団前にもいろいろあって、やっと楽天に入団した期待の新人・一場。最速149キロ、変化球でも三振をとれる男は非凡な才能をもっている。だが、味方からもらった3点を守れず、4点を失って降板。「勝負球を打たれた」と悔しがった。「低めに落ちるはずのフォークが落ちず」ズレータに勝ち越しのタイムリーを打たれ黒星。「もう一度先発で行かせる」と田尾監督。チャンスはまだある。一場には若さがいっぱい。

ホークスは楽天に5連勝。1回の3失点を逆転しての勝利。首位ロッテにゲーム差なしとなった王監督だが、表情はいまひとつ冴えない。「5連勝の内容じゃない」

 前日(11日)松中は通算54打席目で今季初のホームランを打ち、この日も2安打と調子をあげて勝利に貢献した。だが、2回に自打球を右足くるぶしに当てて8回5打席目を終えて退いた。病院での診察では打撲。13日の出場は「当日の様子を見てから」決める。リードオフマンの川崎は脇腹を痛めて戦列を離れている。

 長いペナントレースにはいろいろなことが起きる。まさに人生ドラマが展開する。

 

 

 

 「いまは我慢のとき」という王監督は、自宅で金魚を鑑賞している。水槽で泳ぐ金魚を見て何を想うのだろうか。

 東京の桜は葉桜になって緑が濃くなった。北で桜や桃、リンゴの花がいっせいに咲き出すのはこれから。

                                   (文中敬称略)

 

 

第7話 爽やかな男の笑顔

第7話

 

爽やかな男の笑顔

 

 

 

4月10日、ソフトバンクは連敗を3で食い止め、西武に一矢を報いた。

馬原が西武打線を初回の1点だけに抑えた。6四死球と投球内容は良くなかったが、苦しみながらも8回途中まで投げた。「勝ちたい」という気迫が感じられた。

ズレータも「ライオンズと戦うときは自分がライオンになったつもりでプレーする」闘志を見せて、3回に決勝3ランを打って勝利に導いた。

だが、打線のほうはサクラ前線のように「満開」とはいかない。この日は9試合ぶりに2ケタ安打を打ったが、王監督が言うように「相変わらず、点の取り方がヘタ」。日本列島各地のサクラは満開だが、こちらは「咲こうかどうか」いまだ迷っている状態が続いている。

昨年の3冠王・主砲の松中も打率1割台で低迷、52打席ホームランがない。「ぼくやジョー(城島)が打たないと波に乗れない」

いちばん苦しいのは人一倍責任感の強い松中自身だろう。松中はこの日の試合後、特打ちを志願した。

 

 

 

晴れの日もあれば、曇りの日も雨の日もある。

閉塞する日本社会に風穴を開けてきた孫正義にとっても、必ずしも「晴れの日」ばかりではなかった。いやむしろ、曇りや雨の日のほうが多かったかもしれない。嵐や豪雨の日も少なくはなかった。「めげない、懲りない。諦めない」

孫は何事もどんなときもとことん追及する。「こう」と信じたら、けっして諦めない性格は少年時代に培われていた。中学2年の夏休みの課題に「動くおもちゃ」を製作することになった。孫少年は「ロケット花火で飛ぶ飛行機」という突拍子もない発想を思いついた。「完成したぞ」という連絡を受けた古賀一夫たち仲間が集まった。

 軽量木材の機体に花火を搭載した飛行機。テスト飛行開始。「発射!」花火に点火した。機体は空中に飛ぶはずだった。次の瞬間、爆発して作品は木っ端微塵に散り砕けたのだ。

 孫少年は諦めたか。普通ならば懲りるところだが、数日かけてふたたび製作に挑んだのだ。2回目には見事成功。ロケット花火飛行機は飛んだ。「どうすれば成功するか。考え抜いて実行する」孫は結果を出してきたのである。

 

 

 

 試合後、黙々と練習している松中の手にはいくつも血豆ができていた。額の汗をぬぐった男の顔から笑みがこぼれた。

「たしかな感触がつかめてきた」

爽やかな男の笑顔があった。

                 (文中敬称略) 

 

第6話 野球の神様

 

第6話

 

 

野球の神様

 

  

 

 4月8日、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の葬儀がバチカンのサンピエトロ大聖堂で営まれる。

 ポーランド人のパウロ2世はイタリア人以外では456年ぶり、スラブ系では初の法王。四半世紀以上の在位の中で、東西冷戦終結に寄与。祖国の反体制自主管理組織「連帯」を支持するなど、国際政治の激動に深くかかわった。広島や長崎の悲惨な歴史にも深い悲しみと理解を示した。

 また、キリスト生誕2000年を祝う「大聖年」を主宰し、分裂したキリスト教会の和解やユダヤ教など異宗教との対話も努めた「歴史的法王」でもあった。全世界10億7千万人以上のカトリック教会信者の頂点に立ったパウロ2世の葬儀には、世界100カ国以上から要人が参列する。日本からは川口順子首相補佐官(前外相)が出席する。

 法王の遺体はサンピエトロ大聖堂に安置され、一般の弔問も受ける。葬儀が平穏に行われるよう、帰天した霊のために祈りたい。

 

 

 信教の自由。人はさまざまに「自らの信じる」ところに拠り所を求める。

 トニー・バティスタ選手は「神のお告げ」によってあの独特なバッティングフォームが生まれた。

 待望の来日第1号を放ったときも真っ先に「神に」感謝の気持ちを表した。

 バッターボックスに入ったバティスタは、投手の滑り止め、ロージンバッグが気にかかった。マウンドの「前」に置いてあったからだ。

「どけてくれないか。それでは神が降りてこない」

 ピッチャーと自分のあいだにさえぎるものがあってはいけない。神が降りてこないのだ。

 あるとき球団関係者がホークスの昨シーズンの「ハイライト・シーン」を収録したDVDを配布していた。バティスタは「自分ももらっていいか」と聞いた。「もちろん、どうぞ」と答えると、「サンキュー!」と何度も礼を述べた。あのくりくりした眼と笑顔が印象的だった。

 生真面目で、ヒットが打てないと落ち込んでダグアウトに戻ってくる。いまにもあの大きな眼から涙がこぼれそうなくらいだ。

 練習熱心な男は自主練習をする。そして神への感謝の気持ちも忘れない。

 

 

野球界にもさまざまな「神様」がいる。あの奇跡の西鉄優勝を可能にした「神様、仏様、稲尾様」。巨人軍の川上哲治元監督は「打撃の神様」といわれた。世界のホームラン王、王貞治には「神が宿っていた」にちがいない。

いま、私は野球のおもしろさを復活させてくれた「野球の神様」に感謝したい。

             (文中敬称略)

秘話満載の第5話 円と縁

第5話

 

 

円と縁

 

 

 

 

 

 

 

 4月5日、メジャーリーグではヤンキースの松井秀喜選手が2試合連続ホームランを放ち、快進撃が続いている。

松井の背番号は55。世界のホームラン王、王貞治選手が1964年に打ち立てたシーズン55本のホームランの日本記録を「目標にしたい」とつけた背番号なのだ。ちなみにその年、王選手は1試合4打席4ホームランを打っている。広島は初めて王シフトをとった。

 

 

 

 その偉大なる王監督の、心を揺さぶられるスピーチを聞くことができた。

 4月1日、ソフトバンクの入社式で新入社員に王監督は祝辞を贈った。

孫から紹介されて登場した王は大きな拍手で迎えられた。まず、王はこう言ったのだ。「孫オーナーの日々戦っている姿を見ていると、私自身も励みになります」

王は孫について凄いと感じていることがふたつある。「ひとつは常に夢をもってチャレンジしていること。10年先の夢を実現するために。ふたつ目は負けず嫌いなこと。不屈の精神ですね。困難に陥ったときに思わぬ力が沸いてくる」

厳しい勝負の世界で生きてきた王監督ならではの言葉だ。孫は一歩下がって、両手を前に組み、その言葉を一言一句聞き逃すまいと、噛みしめるように聞いていた。

 

 

 

 王は新入社員に言った。

「いま、みなさんは期待と不安の気持ちが強いと思います。私も入団したてのころは王、王、三振王と呼ばれていた」

 入団時、打率1割6分。ホームラン7本。2年目は2割7分。入団4年目の1962年、「一本足打法」がスタートした。2打席目でホームランを放った。その年、ホームラン38本、初のホームラン王のタイトルを獲得した。

 それを可能にしたのは、荒川博コーチとの出会い。血のにじむような練習。「素直だったね。“ハイ”と素直に返事をする、この子は伸びると思った」と荒川は語っている。

 王監督は続ける。「そして人生は“円”でもある。1日は24時間」1から始まってまるい円を描いて12まで。

 「それと同じで、いいことも悪いことも(ひとつところに)留まらない。ずっとホームランを打ち続ければと思っていてもそうはいかない。でも、打てないことも続かない」

 タイトルを獲ったことで周囲の見る眼が変わってきた。

「そんなにいいことなら、もっとがんばろう」王はプロとして目覚めたのだと語る。

 「人と人との縁。そして円ですね。これらのことを大切にしていただきたい」と王は熱いエールを贈ったのだ。拍手は広い会場に大きく共鳴した。  

                   (文中敬称略)

 

 

                          夜明けの福岡ドーム